体をなくした河原温 29771日の滞在者

 河原温の「過ぎ去り(passing)」がデイヴィッド・ズワーナー・ギャラリーによって2014年7月10日に告げられた。旅立ちの日付は当然ながら文面に含まれなかったが発表日をそれとする誤報が飛び交った(それは数日後に更新された彼のバイオグラフィ「29771日」と合致しない)。さらなる問題は多くの媒体が河原について「すでに死んだ(has died)」「死んでいる(dead)」と報じたことだ。河原は死んでなどいない。ここでの「過ぎ去り」は「死」の婉曲表現ではない。彼は文字通り「過ぎ去った」だけだ。

 かつて私はいわゆる「日付絵画」以降の河原の仕事を量子力学になぞらえた。彼は公の場に姿を現さない。インタビューも受けない。ゆえに一連の作品だけがその生存を告げる媒体となる。しかしそれはいつも遅れてなされる。彼の生存は日付絵画が描かれた「かつての今日」においては確かだが私たちがそれを見る「この今日」においては不確かだ。そのとき彼は「シュレーディンガーの猫」のように生きていると同時に死んでいる。それが私の解釈だった。しかし訂正したい。なぜなら彼はそもそも肉体的な命を持たないのだ。

 鍵は彼の名前にある。「カワラ」はほぼ確実に生来の名字ではない。実兄とされるデザイナーの河原淳氏やおそらく妻と思われる河原弘子氏の姓の読みがともに「カワハラ」であることが状況証拠だ。「オン」については訓読みを音読みに変えたという噂がまことしやかに語られてきた。確証はないが当時の芸術家や写真家の慣習を鑑みても十分にありえるだろう。ここでは仮に彼の「本名」をーーかつてある人物事典がそう誤記したようだがーー「カワハラアツシ」としよう。カワラオン(オンカワラ)という名は少なくとも1952年から使われたがその真価が発揮されたのは1966年までに彼が姿を消してからである。彼は不在となることで実質的に肉体を失った。そのような存在様態はその非実体性において魂や意識と等しい(「架空の人格」でも同じことだ)。一方でカワハラアツシは肉体であり続けた。カワラのいわばゴーストライターとして絵を描き電報を打ち絵葉書を送った。

 ならば「日付絵画」が「かつての今日」における状態として事後的に告げるのはカワラの生存ではなくカワラという意識とカワハラという肉体との結合である。そして肉体の生と死ではなく心身の結合と分離こそが「この今日」において明滅する。名前の二重性が彼の実践に最初から折り込まれているとすればこの読み換えには河原温を意識と肉体が総合されたひとつの身体=ひとりの人物として捉えるよりもはるかに論理的な整合性がある。たしかにカワハラは死んだのだろう。しかしカワラは今も存在している。接続の遮断に伴ってどこかへ去って行っただけのことだ。「過ぎ去り」を文字通りに捉えるならさらに次のことが言える。実際の改名の時期に関わらずカワラはカワハラが生まれる前から存在していた。「通り過ぎる」にはまず「来る」必要があるのだから。彼は81年前の冬にどこからともなく地上に現れた。29771日を数えたところでその滞在は終わりを迎えた。

 不可視の彼の消息が作品を通じて新たに伝えられることはもうない。彼は絶対的な沈黙に入った。それは寂しいことだが悲しいことではない。河原温はいわば純粋意識となって今日もどこかでーーこの言い方を許してほしいーー「まだ生きている」のだから。

山辺冷

【初出:『美術手帖』2014年9月号】

*追記:その後「河原温」の「本来の読み方」が「カワハラ・アツシ」ではなく「カワハラ・ユタカ」であるらしいことが以下の論考において明らかにされた。南雄介「東京時代の河原温」『国立新美術館研究紀要No.2』2015, 国立新美術館, 217頁)。