Below is a Japanese translation by Tomoko Tada,
of this text by Tamsen Greene




展評:奥村雄樹「くうそうかいぼうがく・落語編」展
Misako & Rosen、東京 2010年9月19日まで
原文 => こちら


  落語とは、日本の伝統的な劇の型の一種で、笑いを交えながら物語を語るというものだ。
落語家がひとり、座ったまま、複数の人格に化身し、言葉とパントマイムを通して庶民的
で不条理なお話を語る。奥村雄樹は、ミサコ&ローゼンでの個展「くうそうかいぼうがく・
落語編」において、若く魅力的な落語家、笑福亭里光とのコラボレーションによる作品を
発表した。彼らが題材にしたのは、善兵衛という男の物語で、彼の目が身体から離れて自
由になり、移動して様々な災難にあってゆくという筋のお話だ。善兵衛は、彼の目がカラ
スにつかまれて空を飛ぼうが、病気の男の身体の奥深くに入っていこうが、その間中、ず
っとシュールリアリズム的な、自分の身体から遠く離れた光景を見続ける。この物語は、
内臓の景色を見ようとする奥村の興味と同時に、ものの見方を広げるというアーティスト
としての普遍的役割を、そのまま寓意的に表している。

  笑福亭里光は、この演目をオープニングの日に三回演じており、その様子は奥村によっ
て撮影された。そのビデオ作品《くうそうかいぼうがく・善兵衛の目玉」》(2010)は
その後、会場に展示された。また、田中裕之の作った専用の高座、明るい緑の座布団、笑
福亭里光の名前が書かれたバナーなど、実演に使われたセットも、その場にしつらえてあ
った。会場には、そのほかに、フレームに入れられた写真、簡潔な、しかし力強いアイデ
ィアドローイングがあった。

  「くうそうかいぼうがく・落語編」は奥村の仕事の二つの文脈をつなげている。ひとつ
はフィジカルな身体の限界と拡張について、もうひとつは、現実とヴァーチャルな空間の
つながりについて。善兵衛の混沌とした視野は、彼の身体とは分離されて存在しているが、
彼の感覚には繋がれたままなのである。鑑賞者は、いままさに事が起きている二次元のビ
デオ内の空間と、かつてその事が展開していた現実のギャラリー空間のふたつに同時に居
ることによって(前者では、頭を揺らしながら落語を見る当日の観客と同席することにな
る)、同じような分離された体験をする。このふたつは、つまるところ、同じ空間である。
奥村は、2007年のステートメントで以下のように書いている。「『物』と『像』の二重化
に、その両極に、僕の身体は引き裂かれている。あなたの身体もまた、同じような裂け目
を共有しているのではないだろうか。」


タムセン・グリーン
(翻訳:田多知子)